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欧州日食科学史巡検(1999.8.5〜17.)
 
                         奈良県立畝傍高等学校 大 西 修 二
                         (奈良県理化学会物理専門委員長)
   ・ 経 路 : 関西空港〜ロンドン(ケンブリッジ)〜パリ〜ミュンヘン(皆既日食)
         〜フィレンツェ(ピサ)〜フランクフルト〜関西空港
   ・ 参加者 : 物理部会を中心とする理化学会会員とその家族等15名及び添乗員1名
 
 去る1994(平成6)年から物理研究委員会に特設事務局を設けて準備を進めてきた、皆既日食観
測とヨーロッパ各地に近代科学史の足跡を訪ねる計画がいよいよ実施の時を迎えた。巡検団の団長に
は本会の森塚政親副会長をお願いし、物理部会と化学部会の理化学会会員とその家族等、総勢15名
と添乗員1名で、8月5日(木)関西国際空港を飛び立った。日記風に報告する。
 途中、ヘルシンキで飛行機を乗り継ぎ、同日夕刻、ロンドンに着く。時差の関係で、非常に長い1
日となった。
8月6日(金)晴
 マイクロバスに乗ってまずロンドン市内にある王立
協会へ行き、その中のファラデー博物館を見学する。
比較的こぢんまりした建物の1階にはファラデーの像
やクリスマス講演の部屋があり、地下にはファラデー
の使用した実験室があって、さまざまな実験器具が陳
列されている。電磁誘導の発見に用いられた有名なコ
イルをはじめ、いろいろな電気器具のほかに化学関係
の装置も並んでいる。


 

 
                                   (写真1)ファラデーの実験コイル

 次に、バスはロンドンを出て高速道路に乗り、ケン
ブリッジに向かう。1時間ほどで到着し、ケンブリッ
ジ大学の31もあるカレッジの中で、ニュートンが学び
後に教えることになったトリニティ・カレッジを見学
する。トリニティ・チャペルの中には、トリニティ・
カレッジに関わるいくつかの大理石像が並んでいるが、
とりわけ堂々としたニュートン像が際立っている。彼
が音速を測定したという建物も外から見ることができ
た。

 最初のキャベンディッシュ研究所はケンブリッジ市       (写真2)トリニティ・チャペルの内部
内にあり、その建物の前を通ったが、今では閉鎖され、1974年に新キャベンディッシュ研究所とし
て郊外に移転した。芝生の広場で、カレッジを遠望しながらイギリス風の弁当を広げた後、マイクロ
バスでこの新研究所に向かった。
 ここでは今も最先端の研究が行われているが、J.J.トムソンやラザフォードが所長であった時代
の歴史的実験装置がガラスケースの中に展示され、トムソンの時代から毎年撮っている研究員の集合
写真が、壁にずらっとはりつけられている。
 研究所の元研究者で、中性子を発見したチャドウィックの弟子であったG.スクワイアズ博士から、
歴史上の研究に関して講義をしていただいた。そのおかげで本や写真からだけではわからなかったこ
とが明らかになった。それから先生の案内で、20世紀のはじめに数々のノーベル賞が与えられた研
究の装置を見学したが、その主なものをあげると、
トムソンの陰極線管、ラザフォードとロイズのα線
がヘリウム核であることを確認した装置、チャドウ
ィックの中性子発見の装置、ウィルソンの霧箱、ア
ストンの質量分析器などがある。ラザフォードの最
初の核変換の装置はレプリカ製作のため持ち出さ
れていて、残念ながら見ることができなかった。
また、本物を見て初めて、アストンの質量分析器や
チャドウックの中性子発見装置が思っていたよりも
小さなものであることがわかり、驚いた。
 


 
                                 (写真3)中性子発見の実験装置
 
8月7日(土)雨のち晴
 ロンドンの科学博物館を見学した。数年前、この博物館所蔵品の一部が神戸に展示されたので見に
行ったが、本館の展示品はその何十倍もの量で圧倒された。やはり科学の本場のやることは、日本と
はまったく違うということを改めて思い知らされた。科学、産業のあらゆる分野の展示品がところ狭
しと並んでいるが、その中に「18世紀の科学」というコーナーがあって、 ニュートン、ボイル、ブ
ラックらと関連する装置がたくさん展示されてあり、科学史を学ぶ者にとっては魅力的で有益である。
 夕刻、ウォータールー駅からユーロスターに乗り、パリをめざす。ユーロスターは、予想以上に乗
り心地よく、車内で摂った夕食も格別だった。ロンドンを離れると車窓の風景は一変し、牧草地帯と
なり、熱気球が心地よく浮遊する様子も見られた。いくつものトンネルを通った。次こそユーロトン
ネルかと思いながら数回過ごし、ついにユーロトンネルに入った。約20分でトンネルを抜け、あっ
と言う間にドーバー海峡を渡ってしまった。フランスに入り、広い地平線を飾った夕焼けの風景はや
がて都会のイルミネーションへと変化し、夜のパリについた。送迎バスでホテルに向かった。
8月8日(日)晴時々曇
 朝から、ルーブルを経てオルセー美術館へと歩き、オルセー美術館に入った。名画や彫刻を間近で
鑑賞し、文化と共存しているパリの凄さを実感した。昼食を摂った後、歩いて発見宮殿へ向かった。
 発見宮殿には、幾つもの大きな演示ブースがあり、講師の先生が細かく説明しながら実験してくれ
るのが特徴である。電磁気、原子、波動などあらゆる分野の実験を見ることができる。聴衆の親子や
特に小さい子どもの熱心な姿には驚くばかりであった。中でも、聴衆の中から選ばれた中学生くらい
の女の子を「実験台」とした静電気の実験では、巨大な電圧で髪の毛が総て逆立ったり、その子の入
った大きな鳥かごに火の玉のような放電が走ったりと、日本では見たことのないスケールの大きな実
験装置ばかりで、科学の本場に来ていると実感した。私たちは、波動や原子核変換の実験ブースで講
師の先生に質問をしたが、言葉が通じにくい不自
由さの中で、しかも演示時間が終了しているにも
かかわらず、相当な時間をかけて熱心に説明して
くれた。日本では、果たしてこのようなことがあ
るだろうか。常設展示も、ボタンを押して自分で
繰り返し実験することができるように工夫されて
おり、教育的であった。
 発見宮殿を夕刻に出発し、シャンゼリゼ通りを
歩き、凱旋門をくぐった。次に、地下鉄で移動し
、モンマルトルの丘へ登った。丘から見渡すパリ
 

 
の風景は美しかった。ユトリロの絵でなじみ深い      (写真4)モンマルトルの丘、街の一角
丘周辺を散策したあと、ここで夕食をとりホテル
へ向かった。
8月9日(月)晴のち曇、時雨
 地下鉄で移動し、待望のキュリー研究所へ向か
った。通訳のファビアンさんは食中毒というアク
シデントで体調がすぐれなかったが、私たちを研
究所へ案内し、講師のユベールアバールさんの
説明を流暢な日本語で繰り返してくれた。研究所
には、ノーベル賞の証書やメダルが展示してあった。
そして、ついにPoやRaの発見に使われた実験
装置とピッチブレンドの実物を見ることができた。
他に、ジョリオやイレーヌの実験装置も展示され
 


 
てあった。実験器具展示室の奥は書斎であった。      (写真5)マリー・キュリーの執務室
なんとキュリーが使った机、椅子があり、そこに座らせてもらえるという幸運にめぐまれ
たのである。講師先生の寛大な措置には大変感謝している。書斎の奥は、実験室であった。キュリー
がRaの原子量を記したノートがガラスケースに入れてあり、GM管をむけるとガリガリ音が鳴った。
今なお、放射線が放出されているのである。周辺の研究施設を歩いて見て回り、ピッチブレンドから
Raが抽出された実験室(理化学学校の倉庫)のあった場所についた。今は駐車場になっているが、
ここでRa抽出のドラマがあったと思うと、感激からしばらく立ち尽くしてしまった。キュリー研究
所で講師先生と記念撮影した後、パンテオンへ向かった。
 パンテオンの中央には大きな振り子が設置してあり、フーコーの実験が再現されていた。宮殿の地
下には、ルソーを初め多くの偉人の棺が納められてある。キュリーの棺は、ピエールのものとマリー
のものが並んで納められてあった。またその横では、キュリーが実験している様子をビデオで映し出
していた。この後、自然史博物館により、夕食をすませてホテルへ向かった。
8月10日(火)晴時々曇、時雨
 未だ暗いうちにバスで空港へ行き、そこで朝食を摂り空路ミュンヘンに移動した。
 中央駅近くにあるホテルにチェックインした後、地下鉄に乗り、ドイツ博物館へと向かう。途中の
コルネス橋から、温度計と湿度計のついた大きな塔を見ることが出来た。ドイツ博物館は、科学と技
術を誰にでもわかるように示す国民教育の場として、1925年にイザール川の中州に建てられた世界
最大級の科学館である。観客参加型の草分け的存在で、何でも自分でスィッチを入れて実験でき、実
物大の展示品に触れることができる。
 入場を待つ人々がものすごい行列をつくっていたため、一旦あきらめて駅前まで戻り、先に昼食を
摂ってから再びドイツ博物館へ行った。この時は大分空いていて割合早く入れた。楽器、写真から天
文学まで、30の分野に分かれた展示物は合計17,000点という。とても2、3時間でまわり切れるも
のではないので、とりあえず大まかにまわり大体の様子を見た。
 ここでもパリの発見宮殿と同じく、100 万ボルトの高電圧装置による静電誘導の大規模なデモ実験
をやっていた。ここは実験台も含め、全て博物館の職員が行った。ギリシャに始まる力学に加えて静
力学、動力学の発展史の展示があった。中でもガリレオ・ガリレイの実験室の復元があり、彼が発見
した落体の法則の実験装置があった。
 他にも力学関係の実験器具がたくさんあり、そのほとんどに触れることが出来た。また、教科書に
よく出てくる、マグデブルグの2つの半球とゲーリケの真空ポンプのオリジナルがあった。技術面に
は広大なスペースをとり、エンジン、モーター、発電機などの大型機器やベンツなど数々の自動車を
はじめ、航空機、船などの交通機関、各種の工作機器の実物大のものが展示されており、それらのあ
まりの大きさに圧倒された。
 ドイツに3日間滞在するということで、この日はドイツ博物館の北西にある、ニンフェンベルグ城
へ行った。1918年王政崩壊まで、バイエルンの選帝候や国王の夏の離宮として使われていた。ここ
はドイツで最も重要なバロック様式建造物の一つになっている。広い庭園の中ほどにあるアマリエン
ブルクはロココ様式宮殿で、洗練された美しさに魅了された。中のギャラリーを見学しようと思って
急いだが間に合わなかった。入り口から覗いたが目をみはるばかりの素晴らしい天井画や鏡の間のほ
んの一部を見ることが出来たが、もう一度ゆっくりと見学したいところである。
8月11日(水)曇時々晴、時雨
 いよいよ皆既日食の日であり、明け方から空模様が気になる。ミュンヘンはアルプスに近く高度も
高いので、山岳気候のように天候がめまぐるしく変わるようだ。曇り空が、快晴の青空に変わったか
と思うと、また曇。朝食後、オリンピック公園へ移動した。広く南天を望むことのできる場所を探し
て、多くの人々が集まってきた。皆、日食観測用の眼鏡やカメラなどを持っており、競技場では日食
のイベントもあり、取材の放送局からインタビューされた。各種の屋台も出ていて、まるでお祭りム
ードであった。
 日食の始まる直前になって、また突然の雨。皆がっ
かりしていたところ、雨はまもなく止み、青空が見え
始めた。いよいよ日食が始まり、なんとなく辺りがひ
んやりと涼しくなり、少しずつ暗くなるのを感じた。
遠くのBMWのビルやオリンピックタワーに、点灯し
ているのがはっきりと見えた。あと1分で皆既日食が
見られるというところに、黒雲がかなりのスピードで
やってきた。皆既日食は約2分しか続かないので、雲

 
が早く通り過ぎるのを皆で祈ったが、残念なことに、       (写真6)日食
皆既日食の時間が終っても未だ黒雲の覆いは取れなかった。しばらくして再び青空が見えたので、ア
ルミで出来た特殊な眼鏡で見ると、未だ日食は続いていて、先ほどとは反対側が欠けて見えた。
 再びドイツ博物館へ行こうと、最後まで待たずに駅へと急いだが、こんなにも人が集まっていたの
かと驚くような混雑であった。ドイツ博物館では、主に物理、化学関係の展示物を見ようと、案内図
を見ながら探したが、まるで迷路のように入り組んでいて、探すのにかなり手間取ってしまった。そ
れでも何とかたどり着いた。化学に関してはラボアジエ(時代)、リービッヒの化学実験室の再現が
あり、その前で記念写真を撮った。巨大な水晶、O.ハーンとF.シュトラスマンが発見したウラニウ
ム235の核分裂反応のオリジナルの実験装置が展示されていた。
 その他、古典的なものとしては、そのほとんどがレプリカではあるが、クーロンのねじれ秤、ジュ
ールの熱量計、ファラデーのコイル、ボルタの電堆、アルキメデスの原理の実験装置。また放射線関
係では、レントゲンのX線装置、キュリー夫妻の電気計、大型霧箱、メスバウワーの実験装置、発電
用原子炉の実験装置などがある。
 夜、ホテルにほど近いドイツ劇場に出かけ、ヨハン・シュトラウスの喜歌劇「ジプシー男爵」をブ
ダペストからの引っ越し公演で鑑賞した。ここでも、芸術が日常生活の一部になっていることを感じ
ずにはいられなかった。
8月12日(木)曇のち晴れ間
 午前中は自由時間とし、市内観光等に出かけた。午前11時にのみ動くというミュンヘン名物、新
市庁舎(完成からすでに十分時を経ているが、いまだにそう呼ばれている)の仕掛け時計の、人形の
踊りは、高山祭りのからくり人形などとはまた違った風情があった。
 15時にミュンヘンを離陸した小型機は、アルプス上空で気流の影響を受けつつ、1時間半ほどで
フィレンツェ空港に到着した。この空港は一般観光にはほとんど利用されないらしく、日本人は見か
けない。アルプスの南に位置するこの地の日差しは強く、肌寒かった北のミュンヘンとの鮮明な対比
を示している。ホテルに到着し、荷を解いた後、近くのレストランで夕食をとる。
8月13日(金)晴時々曇
 9時に専用バスでホテルを発つ。市内からはずれると、ひまわり畑や休耕地がどこまでも続く退屈
な風景が広がっている。瓦屋根の建物や遠くの山々が日本の風景に似て見えたのは、ホームシックに
よるものではあるまい。添乗員さんのローマ時代に関する博学な講義を拝聴すること1時間半、街路
樹の隙間から、少し倒れかかっている円柱形の塔が見えて来た。
 バスは大聖堂前の広場で止まった。天気は良く、
斜塔が青空に突き刺さっている感じである。この斜
塔は建造中に傾きかけたので、上の階を建設すると
き、傾きを補正できるよう、その階の重心を少しず
つずらしていき、その結果バナナ形に反り返った塔
となった。ガリレオの斜塔伝説は、まさしくここで
の話である。授業ネタのご本尊に参詣できたことに
喜ばしい思いがする。この塔は1970年代前半には
まだ登れたのだが、
 

 
                                   (写真7)ピザの斜塔
傾きが大きくなり、現在では大きな鉛のブロックを
何個も塔の基部に積み上げると同時に、ワイヤーを
斜塔にかけ、クレーンで引っ張って地盤固めを進め
ている大聖堂の中には振り子の等時性を発見する
ことになるシャンデリアが懸かっている。この大聖
堂はイタリア最古のもので、1118年献堂。ローマ時
代の建築を破壊し、その材料で建造されている。
アルファベットが逆さに刻まれたブロックが所々む
き出しになっている。
 

 
                                   (写真8)ピザ大聖堂の内部
ここから徒歩で、ガリレオが奉職したピサ大学(E.
フェルミが学生時代を送ったところでもある)や
ガリレオの生家まで足を延ばした。ピサは小さな
町で往時の面影を色濃く残しており、路地から
少年時代のガリレオが出てきても少しの違和感
もないことだろう。
 再び同じ時間をかけてフィレンツェに戻る。
強い日差しを頭部に感じながらミケランジェロ
広場に立ち、フィレンツェ市内を見下ろして、
遠きイタリアルネッサンス末期にガリレオが助
手を雇い入れて運営した彼の工房を思った。

 
                                   (写真9)フィレンツェの街並み
8月14日(土)晴
 ホテルから歩いて出かけ、科学史博物館には開館と
同時の9時半に入館した。ウフィツィ美術館に隣接する小規模な建物である。展示室は2、3階にあ
り、1階はオフィスになっている。1966年にアルノ川が氾濫し展示物が一部流失した。そのためで
あろうか、建物の壁面に補強の杭がむき出しになっている。展示物でまず驚かされるのが、天動説を
示す直径3mもあろうかと思われる巨大な天球儀と、その周りにおかれているいくつもの天球儀であ
る。総て木製らしいが、複雑に絡まった太陽や惑星の軌道を見ていると、天動説を絶対的なものとす
る、すさまじいエネルギーを感じる。
 ガリレオの斜面の装置には実におもしろい工夫がしてある。原理は生徒が実験で使う記録タイマー
と同じである。ボールの通過点5カ所にベルが取り付
けられてあり、ボールが通過するとハンマーを動か
しベルが鳴る仕掛けである。時間的に等間隔で音が
鳴ったときのベルの位置から、移動距離が経過時間
の2乗に比例することを検証するものである。
 事前のガイドブックで、”職員は厳しく職務を遂
行し来館者に目を光らせている”という報告を読ん
でいたのでいささか緊張して行ったのだが、実際は
大して緊張感を覚えず、フランクに質問に答えても


 

 
らったばかりか、起電器や力学器機などで実演していただき、  (写真10)ガリレオの斜面落下実験装置
貴重な英文解説書のコピーまで頂戴した。特にガリレオの斜面では実際にボールを転がしていただいた。ベ
ルの奏でるメジャー音階のランダムな配列に、彼の
父が音楽家であったことを思い出した。同じ展示室
にはガリレオの指が展示されている。
 また別のコーナーには当時制作された望遠鏡や出
版物がある。実際にガリレオが組み立てた望遠鏡は、
対物レンズより接眼レンズの方の直径が大きいのは
意外であった。世界を震撼させた天界のありようは、
 

 
展示ケースのガラス越しに今覗いているこのレンズを通し    (写真11)ガリレオの望遠鏡の接眼部
て報告されたのである。その他、美術工芸品のようなコンパスや分度器、時計や温度計など、当時の
工房で作られた数々の精巧な観測機器や演示器機を見て、我々が教育活動において展開している、伝
承文化としての科学技術の位置付けを再考察すべきことを、それらの展示物が促しているような感じ
がした。
 晩年の7年間ガリレオが幽閉され、「新科学対話」を書いたアルチェトリという村が、フィレンツ
ェ近郊1.5kmのところにある。迂闊にも我々は、アルノ川のカモに気を取られて訪問できなかった。
 広場で昼食ののち、ウフィツィ美術館に入った。メディチ家の栄光を物語る、ボッティチェリの「春」
や「ヴィーナスの誕生」をはじめとするルネッサンス美術の数々は、やはり圧巻であった。
8月15日(日)曇
 午前中、自由時間とし、市内観光などで過ごす。
 午後3時、空路フランクフルトに向かう。出発の遅れから、飛行機の乗り継ぎができず、フランク
フルトの空港近くのホテルでさらに一泊することになった。
 我々の旅は事実上ここに終わった。立案から実行まで7年近い歳月が流れた。この旅が成立し、お
おむね所期の目的を果たせたのは、参加された先生方の情熱によるところが大きい。参加者の熱意が
共鳴しあい、素晴らしい旅になった。
 後藤道夫先生には旅行社の選定に示唆を頂いた。またケンブリッジ大学キャベンデッシュ研究所、
パリのキュリー研究所を手配いただいた大学関係諸氏、また先の長い旅程案に真摯に対応していただ
いた旅行社(株)トップホリデーズの鈴木真実氏に、誌面をお借りして改めて御礼申し上げます。
 南 賢一先生(大淀高校)が旅行記を下記HPにて公開中です。展示物のデータベースが必要な方
は事務局までお申し出下さい。
 なお本文は、下記4名の参加者が分担執筆されたものをもとに、参加者の一員である大西修二(物
理専門委員長)がまとめたものです。
       石本 昇(西の京高等学校)   林 良樹(奈良女子大学附属高等学校)
       堀内美甫(帝塚山高等学校)   松山吉秀(畝傍高等学校)
 <参考文献> 物理部会Web   http://www.tomio-hs.nara.nara.jp/butsuri/
        菊池文誠編 「近代科学の源流を探る」   東海大学出版会
        菊池文誠   「ヨーロッパの科学博物館」   (物理教育学会誌1992 第2号)
 
    ※ 勤務先等は、執筆時のものです。
 
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