南壁に翼広げた朱雀 明日香村・キトラ古墳
四神そろう 人物像一部も確認
 
文化遺跡メニューにもどる
 奈良県明日香村の国の特別史跡・キトラ古墳の石槨(せっかく=石室)内で,四つの方位を示す神獣(四神)の一つ「朱雀(すざく)」像と,人物像の一部とみられる壁画が新たに見つかり,同古墳調査・整備委員会が三日,撮影画像を公開した。朱雀像は本格的な古墳壁画としては国内初。極彩色で躍動感あふれ,中国や朝鮮半島の古墳壁画にも類のない国宝級の壁画という。
 新たな壁画は,今年三月に行った石槨内のカメラ撮影で発見。朱雀像は,汚れに覆われているものの全体によく残っており東西幅は六十センチ程度。高さは二十センチ程度。顔と体を西側に向け,翼を大きく上に広げて,足をけるように勢いよく跳ね上げ,飛び立とうとする瞬間の姿が描かれている。全体的に鮮やかな朱色で彩色されていた。
 朱雀は,四神のうちで南を象徴する神獣とされ,シンボルカラーは赤(朱)。極彩色の人物壁画が見つかっている高松塚古墳(同村)では南壁に大きな盗掘坑があって見つかっていない。
 一方,人物像は衣服のすそや持ち物と見られる線が確認され,北壁に三人,他の壁にも三人ずつが描かれている可能性があるという。
 平成十年に見つかった現存するものとしては東アジア最古とされる星宿(星座)図や,四神のうちの「玄武(げんぶ)」「白虎(びゃっこ)」「青龍(せいりゅう)」などの壁画も,鮮明に撮影され,盗掘坑部分で大刀(たち)も見つかった。
 朱雀像について,同委員会の百橋(どのはし)明穂・神戸大教授(美術史)は「自由・大胆である
一方,繊細な表現をし,運動感にあふれている。質感にもあふれ,熟練した絵師が描いたのだろう。例がないほどすばらしい」と評価している。
 壁画の写真は(平成13年4月)四日から八日まで,明日香村の同村中央公民館で展示。(平成13年4月)二十八日から五月三十一日までは同村岡の犬養万葉記念館で公開される。
 
 
 

網干善教・関大名誉教授
 昭和四十七年三月,高松塚古墳(奈良県明日香村)で発見された極彩色壁画は,日本の古代像を変えた。男・女群像,四方の守護神(四神=ししん)として進行の対象になった玄武,青龍,白虎・・・。ただ,一つ欠けているものがあった。四神のうちの「朱雀」像が見つからなかったのである。当時,高松塚の発掘調査を担当,今回キトラ古墳の調査も手がけた網干善教・関西大名誉教授(73)は,「朱雀」についてたびたび聞かれた。
 「盗掘のために壁画に描かれている漆喰(しっくい)がはがれ,朱雀は失われたのだと思う。ことさらなかったことを意味付けて,『描かれていなかった』という人もいましたが,あったという証明はできなかった」と振り返る。
 あれから三十年。念願の朱雀と対面した。「気掛かりだった朱雀がキトラ古墳で見つかり,高松塚にも描かれていた証明になります。高松塚で分からなかったことがキトラで分かった。感動です」と声が高まった。
 初めて目にした飛鳥の朱雀。資料を集め,思い描いていた姿をはるかに超える壁画だった。
 「美術史に残るはずです。躍動的で生き生きしている。高松塚,キトラの両方の調査にかかわれたことは感無量です」と,研究生活を振り返りながら語った。
 
 高松塚古墳     キトラ古墳
明日香村平田 所在地 明日香村阿部山
昭和47年 調査 昭和58,平成9,10,13年
北西にのびる丘陵の
西南斜面
立地
 
北西にのびる丘陵の
南斜面
7世紀末−8世紀初め 時期 7世紀末−8世紀初め
円墳
直径20メートル
高さ3.5メートル
見かけの高さ9.5メートル
墳丘


 
2段の円墳
直径14メートル
(上段9.4メートル)
高さ3.3メートル
長さ 2.655メートル
幅  1.035メートル
高さ 1.134メートル
石室

 
長さ不明
幅103.2センチ
高さ 111.1+αセンチ
北(奥)壁 玄武
西壁 白虎・月像
   男・女群像
東壁 青龍・日像
   男・女群像
天井 星宿
南壁 不明
壁画





 
北(奥) 玄武 人物像
西壁 白虎
東壁 青龍
天井 星宿
月像(西壁側)
日像(東壁側)
南壁 朱雀
海獣葡萄鏡
銀装大刀の金具
ガラス製や琥珀製の
玉など
遺物


 
大刀


 
漆塗り木棺
長さ約2メートル
幅約57センチと推定


 
不明

 
 
        キトラ古墳 調査方法の概略図
キトラ古墳発掘の歩み
昭和53年 奈良県明日香村のマルコ山古墳の調査実施。期待された壁画は見つからなかったが,同村阿部山に,同じような終末期古墳(キトラ古墳)があることが調査団に伝えられた。
57年 関西大学考古学研究室が,キトラ古墳と周辺の測量調査を初めて実施。
58年 飛鳥古京顕彰 会からの要請で,NHKが墳丘の外側から石槨内にファイバースコ ープを挿入。北壁に「玄武(げんぶ)」の絵を確認。
47年3月に極彩色壁画が発見された高松塚古墳に続き,国内2例目の終末期古墳での壁画だったが,玄武発見直後,ファイバースコープが折れ,調査は不可能に。
平成7年 明日香村が同年度予算に,古墳の調査費と用地買収費を計上し,同村文化財 保護委員会に古墳の取り扱いについて諮問。委員会は慎重に検討を進めることを決定。古墳の名称も漢字を使わず「キトラ古墳」に統一することを決める。
8年 明日香村文化財保護委員会がそれまでの審議結果をふまえ,「キトラ古墳保存対策検討委員会」を発足。その後,2カ月に1度のペースで委員会を開催。
9年 墳丘の崩壊を防ぐための防護工事実施。範囲確認の調査で,古墳は直径13.8メートルの「二段築成」の円墳と判明。
10年 3月5,6の両日に行われた小型カメラによる石槨内部調査で,新たに石槨の東壁に「青龍(せいりゅう)」と,太陽を示す「日像(にちぞう)」,西壁に「白虎(びゃっこ)」と,月を示す「月像(げつぞう)」を確認。天井には「星宿(せいしゅく)」(星座)が描かれていることがわかる。
13年 3月22日に石槨内にデジタルカメラを入れ,内部を写真撮影。南壁で「朱雀(すざく)」の絵を発見。
 
キトラ古墳 朱雀像壁画の保存望む
村民ら 修復し「本物」公開を
 
 新たに極彩色の「朱雀」像の壁画が見つかったことが,三日,明らかになった高市郡明日香村のキ
トラ古墳(国の特別史跡)。同古墳に早くから熱い視線を注いでいた村民らも超一級の発見を喜んだ。
同時に傷みが予想以上に激しいことも判明した壁画の早急な保存と,公開に向けた村などの取り組み
に期待している。
 同村の歴史愛好家でつくる「飛鳥古京顕彰会」の上田俊和さん(60)=同村檜前=は早くから古墳
の存在に注目していた一人。この日の調査・整備委員会に調査団の一員として出席する直前に],再
びキトラ古墳に立ち寄り,「ここに朱雀が残っていたんだなあ」と改めて感慨にふけった。
 約三十年前からそこに古墳があると信じ,昭和五十六年に土を築き固めた版築構造,排水施設,盗
掘坑を見つけ,古墳と確信した。 村などに本格的な調査の開始を訴え,調査には二十年以上の年月
を必要としたが,ようやく四神がそろった。
 「朱雀を見ると今にも飛び立とうと写実的でした。高松塚の壁画の状態から,キトラも同様に朱雀
のある可能性は低いと思っていた。それだけに感激した」
 地元の歴史愛好家として,これからの保存の在り方が気になる。「壁画を第一に考えた保存に取り
掛かってもらわねば。二十年前と違い,村の開発を望む人はおらず村民は協力をいとわない。十分な
保存を期待している」と話した。
 また,同村議会の小西弘一・文教委員長は「大変な成果でうれしい。村にとっては喜ばしいこと」
という。
 そして,「傷みがひどいので,早急な保存が必要だと思う。村民の意見として,壁画の本物を見て
いただけるように努力した。村の『創造的活用』としての保存をしていただきたい」と話している。
 
平成13年(西暦2001年)4月4日(水)産経新聞
 
 
キトラ古墳 「朱雀」像多彩な色遣い
調査委 羽の内側などに黄色
 
 奈良県明日香村にあるキトラ古墳(国の特別史跡)で新たに見つかったわが国初の本格的な「朱雀
(すざく)」壁画像は,朱だけでなく,黄など多彩な色を使った極彩色だったことが(平成13年4月)4
日,同古墳調査・整備委員会の調査でわかった。
 朱雀壁画は,翼と頭から尾羽の先端までの背側は,ぼかし技法を使いながら鮮やかな朱色で彩色さ
れていた。腹の部分や羽の内側を,デジタルカメラで撮影された写真で,同委員会の専門家が調べた
ところ,黄色など別の色で彩色されている可能性が高いことが分かった。
 同委員会の百橋明穂・神戸大教授(美術史)は「北壁の玄武(げんぶ)像も首や腹が黄色に彩色さ
れているので,朱雀も朱色だけではないだろう。目も別の色に彩色されていたのかもしれない。中国
などの朱雀壁画は青や緑も使われている」としている。
 
平成13年(西暦2001年)4月5日(木)産経新聞
 
 
1300年「朱雀」目覚め
キトラ古墳壁画 色鮮やか高い質感
超一級の絵画資料 研究者に衝撃
 
 鮮やかな朱に彩られた「朱雀(すざく)」が,千三百年の深い眠りから覚めた−。三日,公開され
たキトラ古墳(奈良県明日香村)の彩色壁画写真。朱雀は長い尾とその躍動感が印象的で,これで四
神図が揃った。新たに人物の存在も浮び上がり,高松塚古墳(同村)にもなかった壁画の発見は,考
古学,美術史の研究者に衝撃を与えている。
 高松塚古墳では発見されなかった朱雀。キトラ古墳調査・整備委員会のメンバー百橋明穂・神戸大
教授(美術史)は「運動感,質感ともにあふれている」と絶賛する。同じく同委員会のメンバーで,
この日の検討会に出席した画家の絹谷幸二・東京芸術大教授は「大変な発見。優美なものが見つかっ
た。おおらかで豊じょう(ほうじょう)であり,かつ力強い。壁画師の品格が現れている」と評した。
 また,調査の現地責任者を務めた猪熊兼勝・京都橘女子大教授(考古学)は「この朱雀は他の神獣
よりもかなり思い切ったもので,特別扱いしているように思える。日本的で日本絵の源流といえる」
という。
 中国や朝鮮半島にある古墳壁画にも四神像が描かれているものがあり,特に高句麗時代の江西中墓
の朱雀像は,四神壁画の最高峰として知られている。
 町田章・奈良文化財研究所長は「驚いた。飛翔する朱雀の壁画は中国の古墳壁画のきわめて珍しい。
ルーツについて新たな研究課題となるだろう」と意義の大きさを強調。
 黒崎直・奈文研文化遺産研究部長も「写真を見てびっくりした。全体的な壁画の感じは,高松塚壁
画より絵師の腕が相当上のように思える。超一級の絵画資料だ」と話している。
■キトラ古墳 奈良県明日香村阿部山にある円墳。墳丘は上段(直径約九.四メートル),下段(直
径約十四メートル)の二段築成で,高さ約三.三メートル。昭和五十八年と平成十年三月に行われた
超小型カメラの撮影で,石槨内の北(奥)壁に玄武,西壁に白虎,東壁に青龍,天井に天文や図や月
像,日像が描かれていることが分かった。七世紀末−八世紀初に築造されたと考えられている。国の
特別史跡に指定されている。
■四神 古代中国で四方の星座から考え出されたとされる霊獣。北の「玄武」には黒,南の「朱雀」
には朱,東の「青龍」には青,西の「白虎」には白と,色があてられ,四つの方位を象徴する神獣と
して,古代の中国や朝鮮半島でさまざまなものに図案化された。日本でも古墳壁画のほか,古墳時代
の「4神鏡」や正倉院の「十二支八卦鏡」,奈良・薬師寺の本尊・薬師如来座像の台座などに四神像
が見られる。平城京では,「平城の地は四禽(=四神),図に叶い」とされ,大宝元(七〇一)年正
月の朝賀式に四神幡が立てられたことも。「続日本紀」に記されている。
 
40の星座確認 星宿図
 公開された写真には,前回の調査時には不鮮明だった星宿(星座)図がはっきりと確認できた。新
たに確認された四つの星座を含め計四十の星座を確認。観測地点は,前回調査で北緯三十八.四度と
高句麗の主都「平壌」とみられているが,今回もこのことが確認された。
 同志社大の宮島一彦・教授(天文学)は「星はクレーター状のくぼみで表現されているようだ。天
文図には赤道など三つの同心円があるが,おそらくコンパスを使って書いたのだろう」と話している。
一方,大刀は撮影用のカメラを入れるために盗掘坑部分をボーリング掘削した際に発見された。三つ
の破片で,表面はさびで覆われており,X線撮影でも銘文や模様は発見できなかったという。
 
深刻な壁面破損
雨水流入はく落 早急な保存策を
 
 公開されたキトラ古墳の写真では,石室内に雨水が流入し,壁面の漆喰(しっくい)が剥(はく)
落するなど,内部の悲惨な状況も同時に明らかになった。
 「今回見つかった朱雀など四神(ししん)の壁画はかろうじて残っている状態。石質全体で漆喰の
崩落が進み,早急な対策が必要」と,調査責任者の猪熊教授の口からはショッキングな言葉が漏れた。
 最も破損がひどいのは,西壁。「白虎」の下方では漆喰が剥落,絵の周囲の漆喰も浮き上がり,亀
裂が入って,今にも落ちかねない印象という。
 内部への泥水の流入のため,石室の床がぬれ,青龍の胴の部分はほとんど確認できないほど。天井
石の継ぎ目から大量の雨水が流入した跡があることもわかった。
 河上邦彦・奈良県立橿原考古学研究所副所長も「このままだと壁画は粉状になるか,板状になって
はがれてしまう。すみやかに発掘して保存対策をとるべき」と強く訴えた。
 これまで三度行われた測定で湿度は九〇−九四%。石室内部としてはベストの数値とはいえず,「密
閉空間」が崩されていると考えられている。
 高松塚古墳の場合は昭和四十七年の発見後,巨額の費用を投じて漆喰の崩落を防ぐ措置が施され,
温度・湿度を一定にする保存施設がつくられた。
 沢田正明・奈文研埋蔵文化センター長は「今の日本の技術なら,高松塚での経験を踏まえてより良
い石室内の修理,保存が可能だと思う」と話している。
 
北壁に人物3人
儀式用の弓 衛士の可能性も
 
 人物群像の一部とみられる壁画は,北壁と東壁と西壁の北端で見つかった。
 北壁では,玄武像の下側の二カ所に蕨(わらび)のような形の赤い線画くっきりと残り,儀式に使
われる弓の可能性がある。衣服のすそのような広がった線や,丸い台座のようなものも確認された。
 人物が等間隔で立っている様子を描いたとみられ,北壁には少なくとも,三人の人物像が描かれ,
他の壁にも白虎や青龍などの下に,三人ずつが描かれているのではないかとみられる。
 猪熊教授は「人物の輪郭が見えないので異論もあるが,人物像が描かれている可能性がある。儀式
に使う道具を持っているなら,衛士(えじ)のような護衛する人物を描いたのではないだろうか」と
みている。
 泉森高・奈良県立橿原考古学研究所付属博物館長も「北壁の玄武の下に三人の人物の絵が描かれて
いるようだ。群像とみていいだろう。東壁では青龍の下にも人物像が見える。西壁にも,もちろん人
物像があるはずだ。壁面の上部に四神が描かれていた理由がこれで分かった」と話している。高松塚
古墳でも,極彩色の衣裳をつけ,手にさまざまな道具をもった計十六人の男女の人物像が東西の壁に
描かれていた。
 
平成13年(西暦2001年)4月4日(水)産経新聞
 
 
生き生き躍動「朱雀」のナゾ
キトラ古墳 南壁だけ野外で描く?
 
 奈良県明日香村のキトラ古墳で,古墳の壁画としては国内で初めて見つかった「朱雀」(すざく)
が,石室の外でのびのびと描かれたために,独自の画風に仕上がった可能性が高いことが5日,分か
った。同古墳学術調査・整備委員会が撮影した石室内のデジタル画像によると,朱雀が描かれた南壁
の上部に3センチメートル程度のすき間が空いているほか,南壁と東西壁の間の隙間(すきま)に限
って漆喰(しっくい)がなかった。ほかの壁や天井の壁画が石室の構築後に描かれているのに対し,
南壁だけは別に描いたうえで埋葬後にはめ込まれたものとみられるという。
 死者を安置する石室には出入り口がなく,最後にはめる壁の継ぎ目は内側から加工できない。
 朱雀は縦約20センチメートル,横約60センチメートルで,壁面の幅の半分以上にわたって翼を広
げており,北壁の玄武が縦約12センチメートル,横約22センチメートルにこじんまりと描かれてい
るのと非常に対照的。また,他の三つの神獣(玄武,白虎,青龍)が中国や朝鮮半島の壁画古墳に見
られる四神像の特徴を忠実に模しているのに対して朱雀は,右足で地をけり,飛び上がる瞬間をとら
え躍動的に▽尾羽を背後にはね上げず,後ろに伸ばしている▽頭の上に鶏冠や羽を立てるのでなく,
羽を後ろになびかせている−など日本独自の様式を指摘。また,朱雀のみが生き生きと躍動的に描か
れ,グラデーションで質感を表現している点などから「朱雀だけが別人が描いたように画風が違う」
との指摘も上がっている。
 菅谷文則・滋賀県立大教授(考古学)は「他の三神獣が暗く,狭い石室内で手本を忠実に模写した
のに朱雀だけは明るい太陽の下で描かれた。絵師の腕の振るいどころで,実在の鳥も参考にしながら
個性を生かして描いたのではないか」と話している。
【記事:沢木政輝】
 
平成13年(西暦2001年)4月6日(金)毎日新聞
 
「キトラ」保存へ新装置 2方向温湿度計測センサー設置
文化庁 「石室内は良好」
 
 朱雀(すざく)など古代中国の四神の壁画が見つかった明日香村阿部山の特別史跡「キトラ古
墳」(7世紀末〜8世紀初め)で(平成13年10月)3日,文化庁が石槨(小型の石室)内部の
温湿度を計測するセンサーの取り替え作業をした。キトラ古墳の墳丘に開けられた穴は3月の壁
画撮影以来閉ざされており,開けられたのは約半年ぶり。保存のための調査に向け,新しいセン
サーがより正確なデータを蓄積していく。
 今回の作業は,古墳の石槨内の温度と湿度を随時計測するため石槨内に入れたセンサーが石槨
の壁穴に通したパイプの先端付近にとどまっていたため,より長いアーム(約4メートル)に取
り換え,センサーを2方向に向けた2個と取り換えた。2個にすることでより正確な計測ができ,
万一1個が故障しても対応できるという。
 文化庁の調査官のほか,明日香村教委,奈良文化財研究所(奈文研),橿原考古学研究所の担
当者らが見守る中,墳丘の穴(盗掘穴)が慎重に開けられ,センサーが取り換えられた。新セン
サーは石槨内の50センチメートルほど内部に届いたという。
 また,墳丘の中腹部には温湿度のデータを取り込むための百葉箱が設置された。さっそく観測
したところ,石槨内の温度は22度以下,湿度は98.7%以上に保たれていることがわかった。新
センサーは古墳の外の温湿度も含めたデータを毎日5分おきに収集する。
 現地で指導にあたった沢田正昭・奈文研埋蔵文化財センター長は「はれものを触るような作業
だった,センサー交換は非常にうまくいった。村による管理が行き届いており,湿温度とも古墳
の保存環境としては良好」とほっとした表情だった。文化庁や村教委は計測データを元に,12
月初をめどに保存のための調査に入る予定だ。
 
 
西暦2001年(平成13年)10月4日(木)朝日新聞掲載
 
キトラ古墳予備調査 文化庁研究委
石室内撮影し構造把握
壁画の正面画像も期待
 朱雀などの壁画が見つかった国特別史跡「キトラ古墳」(明日香村阿部山)の保存・活用等に関する調査研究員会のワーキング会議が(平成13年10月)三十一日,東京都千代田区の文化庁で開かれた。デジタルカメラを使った予備調査は十二月をめどに実施,保存処理の具体的な方法を検討することになった。デジタルカメラの精度は前回を上回る見込みで,壁画の画像も期待されている。
 予備調査は今年三月に設置したガイドパイプを使って実施。アームの先に取り付けたデジタルカメラを石室内に挿入し,遠隔操作で撮影する。
 石室の形や大きさ,南壁に開けられた盗掘坑の位置を正確に把握するのが主な目的で,得られたデータをもとに,石室内での作業方法を検討する。
 石室は石槨(せっかく)と呼ばれる小型構造。これまでの調査で,幅約一メートル,高さ一.一メートルと推定されており,壁画を痛めることなく保存処理を進めることは,石室構造の詳細なデータが必要と判断した。内部図面も作製する。
 アームは前回より長くし,石室の中央付近まで挿入したい考え。実現すれば各壁面の正面画像が撮影できる。これまで,南北の壁面以外は斜めからの撮影だった。調査はワーキンググループのメンバーを中心に行う。
 石室内の環境は温湿度センサーで5分おきに記録しており,十月三日に機械を入れ替えた直後のデータは湿度98%,温度22度だった。
 石室に入るためには墳丘上に覆い屋を設けて内外の環境を一定にする必要があり,予備調査の結果をもとに,施設の具体的な内容を検討する。
 
平成13年(西暦2001年)11月1日(木)奈良新聞掲載
 
 
文化遺跡メニューにもどる