「僧ではなく力士」明日香の猿石の一つ
下腹部に線刻 ふんどし表現 河上橿考研副所長が見解
 
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 明日香村の吉備姫王墓に置かれた猿石の一つで「僧」と位置づけられている謎(なぞ)の石造
物について、県立橿原考古学研究所の河上邦彦副所長は、「僧ではなく力士」とする見解をこの
ほど発行された季刊誌であきらかにした。
 平成十年に宮内庁と同研究所が行った調査で細部を観察、下腹部にふんどしのような線刻を確
認した。上半身に服の表現はなく、「力士とみて間違いない」としている。
 猿石は特長から「僧」「男」「女」「山王権現」と呼ばれる四つの石で、江戸時代に欽明天皇陵
(梅山古墳)南側の水田から掘り出された。現在は隣接する吉備姫王墓に安置されている。
 保存処理に伴い、宮内庁と橿考研が四つの猿石を移動させて調査、表面を洗浄して細部を観察
した。
 僧は高さ一一〇センチメートル、幅七四センチメートル。胸の前で両手を組むような格好で、
顔には深い線刻がある。坊主頭のように見えることから僧と呼ばれてきたが、、河上さんは下腹
部に刻まれた縦の線に注目。やや弧を描くように腹の下へ延びており、ふんどしを表現している
と判断した。
 背中には筋肉のような文様があり、顔の線刻も筋肉の表現と考えることができるという。筋肉
の強調表現は古墳時代の埴輪(はにわ)にも共通しており、力士の石造物と結論づけた。
 猿石が掘り出された欽明天皇陵南側では、石敷きの広場や石垣が見つかっており、河上さんは
「飛鳥の入り口にあたる場所で、迎賓館のような施設があったのではないか」と指摘。
 「天皇の拝謁(はいえつ)を待つ使者に相撲などの芸能を見せてもてなし、催しのない日は猿
石のような石造物で楽しませたのだろう」と話している。
 
写真
「僧」と呼ばれてきた猿石の一つ。下腹部の線刻から河上さんは力士と結論づけた。
 
平成14年(西暦2002年)1月9日(水)奈良新聞掲載
 
 
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