031004=水鳥や家の埴輪30点 奈良・巣山古墳

水鳥や家の埴輪30点 奈良・巣山古墳
4世紀末 水の祭祀(さいし)表現

 奈良県広陵町の大型前方後円墳、巣山古墳(国特別史跡、全長二百二十メートル)の周濠から、四世紀末から五世紀初めの「出島状遺構」と、大型のいえた水鳥などをかたどった埴輪三十点以上が見つかり、同町教委が(平成15年10月)三日、発表した。埴輪は遺構の上に並べられ、水に関わる祭祀(さいし)を表現した可能性が高いという。大王クラスの大型古墳で行われた葬送儀礼の様子を示す一級の史料として注目を集めそうだ。
 史跡整備に伴って、六百平方メートルを調査。出島状遺構は南北十六メートル、東西十二メートルの長方形で、高さ1.5メートル。前方部西側の周濠内で見つかった。
 遺構西側の斜面は、こぶし大の石をびっしりと敷き詰めた州浜(すはま)のようになっており、両端には翼のような形の「突出部」(三メートル)があった。
 遺構の頂上部からは、高さ一メートル近い大型の家形埴輪などが出土。さらに、建物を囲む壁を表現したとされる囲(かこい)形埴輪と、その中に小型の家形埴輪があった。南側の突出部からはカモかガンの親子を表現したとみられる水鳥形埴輪が並んで出土した。
 町教委は「周濠にわき出す水を神聖なものとし、水の祭祀を表現したのかもしれない」と分析している。
 白石太一郎・国立歴史民族博物館教授(考古学)の話
 「水稲農耕が中心だった当時、最も重要だった水の祭りを被葬者が執り行った様子を、埴輪で表現したのだろう。周濠の底からこれだけの遺構が見つかったことは大きな驚きだ」
        ◇
 現地説明会は(平成15年10月)十一、十二日の午前十時から午後三時。近鉄大阪線・大和高田駅からバスで約二十分。「竹取公園東」下車。

大王クラスの被葬者 秘密の祭祀?
奈良巣山古墳 埴輪出土


 奈良県広陵町の巣山古墳から(平成15年10月)三日、見つかった出島状遺構。石を配した遺構をステージに見立て、家や鳥をかたどった埴輪(はにわ)が並ぶ姿は、墓のイメージを離れ、水と石を組み合わせた「庭園}を連想させる。大王クラスとみられる被葬者の権力を周囲に知らせようという製作意図は、千六百年前の倭人だけでなく、二十一世紀の現代人をも驚かせた。

 遺構の頂上部からは、家形埴輪七点、貴人にさしかける笠をかたどった蓋(きぬがさ)形埴輪、柵形埴輪などが出土。さらに、建物を囲む壁を表現したとされる囲(かこい)形埴輪と、その中に小型の家形埴輪があった。
 石野博信・徳島文理大教授(考古学)は「家や柵、囲形埴輪があることから、柵の中で行われた秘密の祭祀(さいし)を表したのかもしれない」と推測する。
 水に囲まれた出島状遺構に並べられた巣山古墳の囲形埴輪は、外部世界と遮断された空間で行われた「水の祭祀」をほうふつさせる。
 辰巳和弘・同志社大助教授(考古学)は「水鳥形埴輪は死者の魂、蓋形埴輪は首長、家形埴輪はまつりごとを行う建物を表している」と指摘し、「埴輪をたくさん並べた今回の遺構は、来世で主が執り行うまつりごとを、この世の人々に見せるための舞台だったのではないか」とする。
 また、家形埴輪の高さは一メートル近く。親子とみられる三羽の水鳥形埴輪は二体が高さ役六十センチメートルで、一体は約四十七センチメートルある。
 猪熊兼勝・京都橘女子大教授(考古学)は「周濠に水がたまれば出島は水中に沈み、対岸からは、埴輪だけが水面に浮かんで幻想的な情景が見えたはず。被葬者は、自分の墓を少しメルヘンチックなものにしたいと思って、こうした仕掛けをしたのかもしれない」と、想像をふくらませる。
 全国に墳丘規模が二百メートルを超える大型前方後円墳は、仁徳天皇陵(大阪府堺市、全長四百八十六メートル)を筆頭に、三十〜四十基あるとされる。大半は宮内庁によって天皇陵などに指定され、本格的な発掘調査はできないのが現状だ。
 巣山古墳は全国二十五番目前後の大きさで、二百メートル級の古墳が本格的に調査された例は、全国でも数例しかなく、今回の調査の意義は大きい。
 河上邦彦・奈良県立橿原考古学研究所付属博物館長は「巣山古墳は、天皇陵といってもおかしくない。これだけの大型古墳を調査する機会はめったになく、千六百年前の大王墓の様子を目の当たりにできることはすごい」と興奮を隠さなかった。

平成15年10月4日(土)産経新聞掲載

 
広陵町巣山古墳 平成15年(西暦2003年)10月12日(日)南が撮影
『底なし沼』に”幻の島”
広陵町巣山古墳 人の手防いだヘドロ層
1600年ぶり甦った祭祀遺構

 出島状遺構が(平成15年10月)三日、見つかった広陵町三吉の巣山古墳の周濠は調査前まで、満々と水をたたえ、農業用ため池として利用されてきた。底にはヘドロが二メートル以上堆積。「底なし沼」(調査担当者)のような周溝の底に、これほどの祭祀遺構が眠っていたとは、研究者さえ予想しなかった。ヘドロの浚渫作業中に掘り当てられた”幻の島”が千六百年ぶりによみがえった。
 昨年十二月初め、史跡整備のため、水の抜かれた周濠内で、ショベルカーでヘドロを除去していたところ、土の色が一変した。
 作業現場を見た調査担当の井上義光・町教委技師(43)が目を凝らしてみると、どす黒いヘドロ一色だったのが、一角だけ黄色味を帯びていた。地層の間からは、出島状遺構の敷石がちらほら見えていた。
 「これはえらいこっちゃ。何かある」
 浚渫工事は急遽ストップ。二月から本格的に調査を始めたところ、ヘドロの下から大量の敷石や埴輪の破片が次々と姿を現した。
 発掘現場では通常、建物や柱跡などの遺構の有無は、土のいろの違いで見分けるのが基本。昭和六十二年から町教委で現場一筋に発掘を続け、町内の土を見続けてきた井上さんの鋭い観察力が、大きな発見に見つかった。
 「腰まで沈んでしまうようなヘドロ」(井上さん)の中で、八ヶ月以上調査が続けられた。石野博信・徳島文理大教授(考古学)は「担当者は、ヘドロに埋もれた遺構を、まさしく泥まみれになりながら丹念に調査したからこそ、大きな成果が出た」と評価する。
 周濠内は、平安時代に小さな水田が作られて以降、新たな開発の手は伸びなかった。分厚いヘドロ層が、人の手の入るのを防いだともいえる。井上さんは「遺構が完全な形で残ったのは、千数百年間たまり続けたヘドロのおかげかもしれない」と話していた。

写真=大量の石で囲まれていた出島状遺構。頂上部の埴輪群は古墳の外側(写真奥)に向かって並んでいたという。

平成15年10月4日(土)産経新聞掲載
 
広陵町巣山古墳 平成15年(西暦2003年)10月12日(日)南が撮影
行ったのが遅く、ブルーシートを被せているところでした。
水鳥の埴輪を見ることができなくて残念!

031012=1600年前の祭祀にロマン

1600年前の祭祀にロマン 京阪神や関東から歴史ファン
巣山古墳「出島状遺構」で現地説明会

 水鳥形埴輪など古代の水の祭祀をうかがわせる、全国にも珍しい「出島状遺構」が見つかった広陵町三吉のの巣山古墳で(平成15年10月)十一日、現地説明会が開かれた。県内ほか、京阪神や関東などから多くの歴史ファンらが詰め掛け、古墳が築造された千六百年前に思いをはせながら盛んにカメラで撮影していた。
 巣山古墳は町教委が発掘調査し、周濠の底から石を敷き詰めた出島状遺構と、三十点以上の埴輪が出土。古代の権力者による水の祭祀を再現した遺構として注目されている。
 現地説明会では、調査を担当した井上義光技師が遺構の意義などを解説。全長が二百二十メートルもあり、全国二十四番目の規模を誇る巣山古墳の被葬者について「当時のトップに次ぐ人の墓。現代に例えると、小泉首相ではなく安倍幹事長クラスでは」などとユーモアを交えながら説明した。
 名古屋市から来た北尾作久治さん(76)は「以前、巣山古墳に来たときは周濠は泥ばかりだったが、これほどすばらしい遺構が見つかるとは。びっくりしました」と話していた。説明会は、十二日も午前十時から開かれる。

写真=多くの歴史ファンらが詰め掛けた巣山古墳の現地説明会=広陵町三吉

平成15年10月12日(日)産経新聞掲載