031120=「飛鳥浄御原宮」解明へ

「飛鳥浄御原宮」解明へ 明日香・飛鳥京跡
宮殿中枢部の発掘開始 国家形成との関係も


 明日香村岡の飛鳥京跡で、政治や儀式の中心だった宮殿中枢部の発掘調査が始まった。飛鳥京跡は県立橿原考古学研究所がしょうわ三十五年から調査を進めてきたが、内郭と呼ばれる中枢部の構造は一部しか解明されていない。最上層の遺構は天武天皇の飛鳥浄御原宮(あすかきよはらのみや)とする見方が有力で、”律令国家前夜”の宮殿構造の解明が期待されている。

 飛鳥京跡は飛鳥地方に営まれた宮跡の総称。このうち、飛鳥板蓋宮跡(国史跡)と伝えられる地域には、宮殿遺構が何層にも重なることが分かっている。
 四十年以上にわたる調査の結果、最上層が飛鳥浄御原宮と斉明天皇の後飛鳥岡本宮、その下層に蘇我入鹿暗殺の舞台になった飛鳥板蓋宮が眠る可能性が強いと考えられるようになった。
 最下層は舒明天皇の飛鳥岡本宮といわれ、藤原京に遷都した持統天皇まで、六人の天皇が繰り返し宮を営んだ可能性がある。
 県立橿原考古学研究所は本年度から四年間の予定でこの地域の学術調査を計画、当初予算に千万円の調査費を計上した。
 調査担当の林部均・主任研究員は「宮殿構造の変遷だけでなく、七世紀の政治の流れを考える上でも意義深い調査になるだろう」と期待する。
 構造が比較的分かっているのは飛鳥浄御原宮で、後飛鳥岡本宮(内郭)にエビノコ郭と呼ばれる宮殿を加えて完成したとの見方が有力。
 内郭は周囲を掘っ立て柱塀で区画され、南北百九十七メートル、東西百五十二−百五十八メートル。昭和五十四、五十五年度の調査で、前殿とされる東西建物跡と南門跡が見つかった。
 本年度の調査地は前殿北側の約四百平方メートル。前殿から北側に延びる石敷きの通路が確認されており、正殿に相当する大型建物跡や儀式に使う庭の発見が期待できる。
 日本書紀には、朝庭や朝堂、大極殿が飛鳥浄御原宮の施設として登場。エビノコ郭が大極殿とすれば、内郭は天皇の生活空間「内裏」だったことになる。
 藤原宮では、国家儀式を行う大極殿を中心に、役人が政務を執る朝堂院と内裏が南北一直線に配置されていた。飛鳥浄御原宮は朝堂院に相当する施設が確認されていない。
 同研究所の松田真一・調査研究部長は「本格的な都城(藤原京)が営まれる直前の宮殿構造を明らかにしたい。律令国家の形成と宮殿構造の関係を解き明かす上でも重要な調査」と話している。

平成15年11月20日(木)奈良新聞掲載