お詫び JARL選挙公報のページの年齢をまちがいました。お詫びします。
JARL奈良県支部会員のみなさま

このたびJARL通常選挙の地方本部区域ごとの社員(関西定員12名)に
奈良県から立候補いたしました。
ご支援どうぞよしくお願いいたします。
 南 賢一
67歳
JARLライフメンバー
昭和60年5月2日電話級アマチュア無線技士
昭和60年12月11日 JN3ANO 移動局免許
昭和63年12月24日電信級アマチュア無線技士
昭和63年11月18日第二級アマチュア無線技士
平成元年 1月18日 JN3ANO 固定局免許
平成元年12月12日第一級アマチュア無線技士
平成2年4月17日特殊無線技師(無線電話甲)
平成元年〜 ARDF A級審判員
JARL奈良県支部副支部長 青少年育成・監査指導担当
奈良V・UHFコンテストログのメール受付担当
葛城ハムクラブ会長 A1クラブ会員 KCJ会員
総務省近畿総合通信局電波適正利用推進員
桜井市アマチュア無線ネットワーク副会長

38年間県立高校理科教員として勤務、定年退職後、現在は非常勤講師


【私の考え】微力ではありますが、JARL奈良県支部会員のみなさまのご意見を届けることができるよう、
      奈良県支部長とともに努力します。

1.JARLの持続可能な経営の安定化を目指します。

  不要な支出を切り詰め、会員を増やす努力をするようチェック機能を果たし、JARLの経営が安定することを
 目指します。JRAL社員や会員は、自らアマチュア無線を楽しみ、アマチュア無線が魅力あり、社会の役に立ち、
 アマチュア無線人口が増えるような取り組みをしていきたいと思います。

2.アマチュア無線を趣味とする者が互いに力量を高め、互いに楽しめる奈良県支部を、支部長とともに目指します。
  資格ある者が許可された範囲内で電波を発射し、国内をはじめ世界の無線家と直接無線で交信できることが
 私の子どもの頃からの憧れでありました。始めたのは33歳と遅いでしたが、その前から、今もその憧れは変わ
 っていません。私のアマチュア無線の活動が長く続いているのはその憧れのためです。

急にたのまれてCW講習会の講師をしました         葛城ハムクラブの葛城山移動運用で

3.自然災害時や子どもの安全を守るため、非常時の通信に対応する訓練を続けます。
  非常時を想定した通信実験(ロールコール方式)は60回を数えました。今後も非常時のため、互いに訓練と経験を
 積み重ねることが必要と考えます。毎回、初めて参加される局もあり心強く思っています。
  https://minami3.com/hijou/

4.JARLの公益的な取組のひとつとして、青少年の健全育成に関わる活動を続けます。
 「青少年のための科学の祭典」には1998年から理科教員として関わり、2002年からは奈良県支部としても18年
 連続出展しています。科学技術に興味を持ってもらうことを通して今から将来にわたり少しでもアマチュア無線に
 興味をもってもらえれば・・・・ と期待しています。
  https://minami3.com/kagakusai/

「青少年のための科学の祭典」で           2013年関ハムのキッズコーナーで(右後ろのカニみたいなのが私)

アマチュア無線の活動
最大電力(コンテスト時は規約にある制限電力に従います)
固定局 HF 200W,V・UHF 50W,1200MHz 10W
移動局 HF・V・UHF 50W,1200MHz 1W
コンテストの電信部門によく出ています
ALLJA、6m&DOWN、FD、全市全郡、奈良V・UHF、KCJ、大阪、京都、兵庫、和歌山、滋賀、三重、羽曳野、
A1CLUB STRAIGHT KEY コンテスト、XPO記念、KCWA、広島WASなどなど
みなさまの交信のお陰の表彰です−−−−−−−−−−−−−
KCJコンテスト奈良県1位(1991、1996、1997、2000、2003、2005、2006〜2009、2012〜2019)
A1CLUB Let's A1 Contest3エリア1位(2005、2006、2008、2011、2012)
A1CLUB Straight Key Contest 2016年3エリア2位、2017年3エリア3位、2018年3エリア2位
みなさまの交信のお陰です。ありがとうございました。−−−−−−−−−
8J3SK60Y/3運用(2,455交信させていただきました)、
8J3XXII/3運用(426交信させていただきました)、
8N3MIWA/3運用(2,265交信させていただきました)、
8J3XXIV/3運用(216交信させていただきました)、
8N3HMK/3運用(本日まで928交信させていただきました)など
私のアマチュア無線の原点(古い文章ですみません)
 昭和63年(1988年)に奈良公園を中心にして、奈良シルクロード博覧会が開催され、特別記念局「8J3SLK」が活躍した。そして平成7年(1995年)橿原市藤原宮跡を中心にして「ロマントピア藤原京’95」藤原京創都1300年記念祭で記念局「8J3RPF」が活躍した。いずれも、世界の文化が交流した歴史ある奈良県で開催された。
 私たちが生活しているこの場所の大いなる過去に、世界の文化が盛んに交流していたことは、テーマどおり夢とロマンを感じる。その歴史ある地を会場にして行われたことにも誠に感慨深い。
 しかも、アマチュア無線のブースは、その会場の一角にあり、会場から直接、生の雰囲気を全国はもとより世界に伝えたことは大いに意味深い。交信相手の相互はアマチュア無線有資格者に限るが、オペレーターがいればいつでも、まさに無報酬で、趣味として、楽しく催物を広く紹介し、しかも、記念局と交信した人は綺麗なQSLカードがいただけ、JCCあるいはJCGをサービスしていただけるという点で、他の手段とは異なる相互情報通信手段であろう。パソコン通信やインターネットなど、これからますます情報通信手段は国際化・高度化していくであろうが、アマチュア無線は、マルコーニの無線実験から100年たち、空のコンデションに大いに影響される素朴で基本的な通信手段なのである。この点で、私はパソコン通信のIDももっているが、アマチュア無線にこの上ない興味を覚える。
 私は、小さい頃から通信に興味があったが、放送局に勤める夢も果たせず、アマチュア無線の開局は昭和60年、30歳を超えてからであった。しばらくは、430MHzバンドのFMだけに出ていたが、昭和61年に葛城ハムクラブに入会し、ハムライフが広がりパケットもはじめた。昭和63年、シルク博が開催され、運用の当番になった。たくさんのバンドのリグがならび、それぞれのバンドの無線の楽しさを知った。また、自分の資格で運用できないモードやリグがあることに、くやしさを感じた。

 この8J3SLKの運用は、大きく自分を変えた。必死な思いで、2級、1級と資格をとり、中古のリグを求め、インバーテッドVダイポールをはり、ささやかではあるが、HFの世界に足を踏み入れた。それからは、主にコンテストの電信部門に参加している。休みの日の都合のよい時間に、多くの局とQSOできる。べったんやビー玉集めのおもしろさがある。電信は、短点・長点だけで組み立てられ、単純である。電話のように、声の質や国のなまりはないが、電信にもなにかしら人の匂いはある。キーをたたいている人を想像するのである。気のよさそうな人、のんびりとした人、せっかちな人・・・、人がモールスに出る。単純であるがゆえに、ほんとうにおもしろい。
 葛城ハムクラブの一員として、ロマントピアのアンテナ建設に立ち合うことができた。広い場所に、まことにきっちりした仕事で、自分もこのようなアンテナを建てられたらと、憧れを感じた。5月初旬から1ヶ月の出張があり、少ししかお役にたてなかったが、すばらしい環境で気持ちよく運用させていただいた。パイルというのも、ちょっぴり味わうことができた。
 まだまだ、無線技術は未熟であるし、自分の設備も恥かしいものであるが、これから一生つきあえる趣味として、各局さんにご指導を仰ぎながら長く続けていきたいと思っている。
葛城ハムクラブとの出会い(古い文章ですみません)、「私のアマチュア無線の原点」と重なる部分は省略します

祝 葛城ハムクラブ 25周年(1996年)

− アマチュア無線への憧れ(JA3ZNJ 25周年記念誌寄稿文)

(省略)−−−−−−−−−−−−−−−−
 実は、電信による交信に慣れるまで相当時間がかかった。1988年10月から89年4月までは、ひたすらワッチをした。やがては、電信による交信ができるように、すべて書きとった。どういう会話が行われているのか、記録した。まるで、それぞれの交信で自分がその交信相手になっているかのような気持ちで。
 度胸のない私は、何でもそうである。一段階ずつ踏みしめて自信をつけていくのである。恥ずかしいことだが、スキップや鉄棒の逆上がりができるまでや、プールの中で歩き回っているのから足をつかずに泳げるようになるまでにかなり時間がかかった。自動二輪免許もすぐにはとれずに、原付でたっぷり慣れてからだった。無線従事者免許も電話級から1級まで一段階ずつとっていった。とても足下には及ばないが、今、無線を楽しませていただいているのは、師匠ともいうべきJA3MQY木村氏の辛口かつ一刃両断の助言が大きい。『2級をとったら次は1級に挑戦しろ』、『マニュピレーターは左手でやれ』という助言は特に自分にとってきびしかった。
左の写真は1994年10月9日五條市移動(JA3MQYさんと)
 1989年の4月から10月までは、ゆっくりした電信のCQステーションを見つけては交信を挑み、1日1局以上を目標に交信した。自分ながらうまくいったものあり、汗が吹き出すようなものあり、恥はかいても初心者だからと思ってひたすら相手を見つけた。その時相手してくださった局にはたいへん感謝する。8月には呼ばれたりして結構自信をもてるようになってきた。さて、毎土・日曜にはコンテストが行われているのに気付いた。
 スピードが速く近付きがたかったし避けていた。しかし、スピードにも少しずつ慣れるにしたがって一度コンテストにも出てみたくなった。
 はじめてのコンテスト参加は、1989年10月のJARL全市全郡コンテストである。CQは出さず、ひたすら呼びにまわった。その単純明快さと、数を集めること、スピード感になにかスリルと感激を覚えた。コンテストの集計結果が出て、いくら1点でもJARL NEWSに自分のコールサインが載ることに嬉しさを感じている。
(現在は上位入賞者のみJARL NEWSに掲載されます。)自分の無線設備(リグ、アンテナ、ロケーション、通信技術)からして、全国優勝や上位入賞はできるはずはないが、参加することが楽しい。JARL NEWSが届くと、コンテストの日程とコンテスト結果をさっそくチェックしてしまう。
 コンテストの提出ログは、はじめは手書きであったが、1989年11月のJA9コンテストHF部門からはコンピュータ入力し、重複やマルチチェックし、プリンター出力しそれをJARLコンテストログ用紙に重ねコピーするといった方法で作成した。1994年からはコンテストログもJARL様式のものを帳票印刷で出力している。コンテストごとの多様なマルチチェックを一括処理でさせているが、非常に快適である。
 コンテスト中のログは、ノートに書いていた。何ページかにわたるとその重複チェックはかなりの労力を要する。時間を競うコンテストでは、もっと素速く重複チェックしたいということで、コンピュータに入力してチェックするプログラムをBASICで組んだ。
1993年になって、メモリーキーヤーCW−620をコンピュータで動かして、CQやコンテストナンバーの送信をキー1つでやるプログラムをやはりBASICで組んだ。これは、JA3ZNJが参加したWWコンテストでDOS/V版の『CT』というコンテストプログラムを使わせていただいたのがきっかけである。その便利さを使いたかった。今、『CT』ほど優秀ではないがコンテストの重複チェック、CQ、コンテストナンバーの交換がキー一つでやってくれて、あとコールサイン、交信時間、コンテストナンバー、周波数、モードが記録され、ログになる。非常に快適で気にいっている。
(現在はUSBインターフェースとZLOGを使っています。)

2001年葛城ハムクラブ開局30周年記念 葛城山移動運用   1992年葛城ハムクラブ開局20周年記念 神野山移動運用

1999年7月24日移動運用                      1991年8月4日移動運用
「全国森と湖に親しむつどどい」'99水と緑とまほろばフェスタ
in布目にアマチュア無線JA3RL/3の設営および運営
 葛城ハムクラブの一員として、無線はもちろん、いろんな遊びを教えていただいた。まさに個性の集まりでおもしろい。移動運用やいろんな行事が楽しみである。それぞれに印象深い。私が入会した頃に比べ、家族連れの参加が多くなってにぎやかである。名簿には載っているが、拝見しないクラブ員の方がいらっしゃる。連絡用のパケットはあるが、これも見たりアップする人は限られている。1991年の移動運用の後の反省会の時だったか、JH3KCW吉川氏と話していてクラブニュースなるものを発行してはと、意見が合った。吉川氏も同じことを考えていたらしい。クラブ行事の案内や行事のようすを知らせたり、パケットでの話題が主な記事として、発行を重ねてきた。いったんプリンターで印刷したものを切り貼りして原稿をつくる。今の時代、原始的であるが、そのほうが全体を見渡せて、私としてはやりやすい。何でも継続するというのはいいもので、すでに発行したニュースをながめては、ニヤニヤしている。皆さんの記事がおもしろい。これからも皆さんのご協力を得て、ぜひ続けていきたい。(現在は紙ベースのニュースは発行していません。Webに代替しています。)

1990年5月13日(日)葛城ハムクラブハイキング          1992年5月17日(日)葛城ハムクラブハイキング(写真はみたらい狭)
赤目(宇陀郡)                              みたらい狭(吉野郡天川村)、やすらぎ村(吉野郡下市町)

1994年5月8日(日)葛城ハムクラブハイキング           1997年1月26日葛城ハムクラブ ボーリング大会
(三重県松阪市松名瀬海岸へ潮干狩り)
 
葛城ハムクラブ ハイキング               1995年1月29日葛城ハムクラブ ボーリング大会
1996年9月8日(日)葛城ハムクラブハイキング(和歌山県北港海つり公園)
 私の無線技術はまだまだ未熟であるし、設備の充実は一歩一歩これから気の長いものであるが、一生つきあえる趣味として、みなさまにご指導を仰ぎながら長く続けていきたいと思っている。クラブ員の皆さまの幸せと、『葛城ハムクラブ』がますます発展していくことを祈っている。