最古の車輪出土 奈良・磐余(いわれ)遺跡
飛鳥時代後半 古代運輸知る資料
 
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 奈良県桜井市の磐余(いわれ)遺跡群で、木製の車輪の一部が出土し、同市教委が(平成13
年12月)四日、発表した。同じ場所で出土した土器から飛鳥時代後半(七世紀半)で日本最古
のものとみられる。
 これまで奈良時代の車輪が最古の出土例とされており、半世紀以上さかのぼる。古代の運輸事
情や車輪の変遷を知る貴重な資料になりそうだ。
 車輪は谷間に埋まっていた小立古墳(五世紀後半)上にたい積した砂層から発見。車輪のタイ
ヤ部分「輪木」がほぼ半分とスポーク三本、車輪どめが当時の構造をとどめたまま出土した。輪
木は外周部分と内周部分に分けられ、幅計約九センチメートル、厚み約三.七センチメートル。
板状のスポークは長さ約四十センチメートル。復元すると直径は約百十センチメートルになると
いう。輪木に開けられた穴にスポークの「ほぞ」をはめ、内周の輪木で補強していた。この構造
は中世の絵巻物にある車輪の絵や現代の山車のお車輪にも共通しているといい、古代に車輪の構
造がほぼ完成していたことを物語った。
平成13年(西暦2001年)12月5日(水)産経新聞
 
牛車の構造と似る
最古の車輪 特権階級が所有か
 
 奈良県桜井市の磐余(いわれ)遺跡群から(平成13年12月)四日までに出土し、わが国最古
で飛鳥時代後半(七世紀後半)のものと分かった木製車輪。現代に伝わる木製車輪の構造と同様
の構造が飛鳥時代にすでに完成していたことを示した。文献などでは、車輪を使った運輸手段は
奈良時代に普及すると考えられており、今回の出土は古代の運輸技術の発展を再考するきっかけ
になる。
 今回、見つかった車輪はアカガシ材で一部は摩耗しており、実際に使われていたとみられる。
ともに出土した土器から飛鳥時代後半と判断されたが、奈良文化財研究所考古第一調査室の井上
和人室長(考古学)は「木製車輪の構造がこの時代に完成していたことを物語っている。今まで
判明していなかった車輪や、古代の輸送手段の歴史がうかがえる。今後の調査が期待される」と
話す。
 車輪が見つかった場所は、大和政権とゆかりの深い磐余の地と飛鳥京を結ぶ古代の幹線道路「山
田道」沿い。調査した桜井市教委は「出土例の少なさから一部の特権階級の所有物で、山田道を
通った車だろう」としている。
 用途については、車輪の上部構造が判明しないため、人を運ぶ牛車(ぎっしゃ)か荷車なのか
はわからない。が、文献では、車を使った運搬手段について、古くは正倉院文書(奈良時代)に
記述が残っている。中世になると、絵巻物に牛車が描かれており、その車輪の構造とも似ている。
 奈良女子大学の舘野和己教授(日本史学)は「奈良時代、車を作る技術を持つ職人は高井価値
があるとされており、一般人は簡単に手に入れられるものではなかった。まして飛鳥時代には貴
重なもので、有力者が所有したのだろう」と指摘。
 「古代の車の普及や運輸方法について考え直すきっかけになる貴重な資料」と話している。
   ◇
 見つかった車輪は(平成13年12月)五日から平成十四年三月三十一日まで、桜井市の同市埋
蔵文化財センターで展示される。
平成13年(西暦2001年)12月5日(水)産経新聞
 
 
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